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秩父神社 川瀬祭り Q&A

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秩父神社 川瀬祭り Q&A

川瀬祭り
川瀬祭はいつ頃から始まったのですか?
A秩父神社の川瀬祭は別名「おぎおん」・「祇園祭(ぎおんまつり)」などと呼ばれていますが、平安時代に京都八坂神社で始められた祇園祭ないしは祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)の流れを汲むものと考えられています。しかしながら、それ以前から民間の悪疫除け祈願のお祭りは様々な形があったと考えられています。
川瀬祭り
なぜ「おぎおん」と呼ばれているのですか?
A平安時代に京都八坂神社がお祀りされた当初は、仏教の祇園精舎にならって祇園社と呼ばれていたことから、そのお祭りは今日においてもなお「祇園祭」と呼ばれています。平安時代以降、全国に広まり特に盛んになりましたが、神仏習合の時代には仏教でいう牛頭天王と八坂神社のご祭神である須佐之男命が同一視されていたことから「天王様(てんのうさま)」とも呼ばれていました。
川瀬祭り
荒川に行くのは何故ですか?
A昔から清らかな水の霊力によって、人々の罪や穢を洗い流そうとする禊やお祓いが盛んに行われてきました。秩父では各町会が山車を持たなかった時代でも、行列が川に出向き、胡瓜やお供物を川に流して無病息災を祈願したことが文献に見られます。全国各地でも同様に、暑い夏を無事に過ごせるようにとの願いを込めて夏祭りが行われてきたのです。
特に秩父神社の川瀬祭では、お神輿が荒川の清瀬に出向き、お神輿を河に舁ぎ込むことで神様自身が禊をされるという意味ではたいへん興味深いところと思います。また、川瀬祭の前夜、荒川武の鼻の妙見淵周辺で「お水取り行事」と称し、選ばれた若者が荒川の水を汲んで持ち帰り、町内の入口や辻に撒く行事が今も行われています。これも荒川の清らかな水の霊力によって、町内を様々な災いから守るための清めの儀式であると言えるでしょう。
川瀬祭り
スサノオノ命ってどんな神様ですか?
A伊勢神宮の御祭神である天照大御神の弟神様です。八坂神社にお祀りされている神様で、猛々しい力の強い神様といわれ、勇猛果敢なその性格から武神としても有名です。祇園信仰の関係では、仏教を守護する牛頭天王と同一視され、蘇民将来の古い伝説によりそのご利益はよく知られているところです。全国各地の夏祭りは、この須佐之男命をお祀りして祭典が行われています。
川瀬祭り
天王柱って何ですか?
A昔から「○○よけ」や「フセギ」などと呼ばれる御札や大きな草履などを、村の入口や辻々に立てる風習が各地に伝えられていますが、これは病気や災いをもたらす悪神の村への進入を防ごうとする人々の信仰によるものなのです。
かつて秩父の町内では、「祇園柱」とも「天王柱」ともいって柱松を立て、そこに須佐之男命をお迎えし、悪疫の退散を願う儀式が江戸時代の末から明治初年の頃まで行われていたと伝えられています。これも悪神の町内への侵入を防ぐための儀式であったと言えるでしょう。
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